五次元世界へ誘う目的意識と人生の指針と心得

最後の審判を遣り過す魂の道案内と人生の目的と意味と意義

不思議な夢、堂々巡りから新心境へ、修行後に任務を開始して方策を見出す

こうして私の使命は開始された
物語(人生ドラマ)の全ては夢の啓示より始まった 霊夢体験シリーズ 
HP新作UP2001/1/18~最終更新2002/11/15~HP移転UP2005/3/31---2019/6/9ブログへ移転

堂々巡りから新たな心境へ(主に「霊夢体験回想録」より抜粋)

29才の頃、何時ものように眠っていると、自分の心と言いますか、魂と言いますか、心境として同じ所ばかりをグルグルと堂々回りをしている様な、遣る瀬無い感覚を覚えたことがあります。
それは何か大きな建物の中に入ろうとしても入り口を見い出せないで中に入れず、何時までも外側を歩き回っているような歯がゆい気持ちでした。
とにかく何とかしたいと周囲をグルグル歩き回りながら探しても、一向に入り口を見い出せずに焦りを感じていたのです。
やがて堂々巡りの感じは夢のみでなく、昼間でも同じように起きるようになりました。
その様な状態が3週間以上も続いたと思います。暫くするとある夜の夢に老人が現れてきたのでした。私は老人と丘陵のような所を歩いていました。老人は立ち止まり、手に持っていた杖を天に指し示したのでした。
ふと、前方の天を見上げると、杖を指した方の空中に「調和」という文字が仕掛け花火の様に大きく浮かび上がってきたのです。
私は唖然としてその文字が燃え尽きて消えるまで見つめていて、気が付くと老人は音もなく姿を消していました。
夢から醒めてあの「調和」という文字は一体何だったのだろうか。当時では後から考えても何のことか分からずに、再度、眠りに入ったのでした。



それからというものは、兎に角「調和」という文字を夢で見てからは、昼間だろうが、夜中だろうが、
「今だ!、いま、修行せよ!」
と、とても大きな声が、私の心の中に込み上げてくる様になったのです。
そのおかげで仕事も何も手に付かなくなってしまいました。無理に仕事をしようとすれば、
「仕事より修行せよ!」
と、誰かが叫んでくるのです。それだけに留まらず、
「物質やお金ではない。心、心を大切にせよ!」、「時はない!、今だ!、修行せよ!」
と、誰かが力強く声を掛けてくるのです。
しかし、修行せよ、と言われても、私には何をどうすれば良いのか分かりません。
「修行とは山に入って(籠って)行うもの」と先入観で思い、今の生活を捨て切れません。どうすることも出来なくて、そのまま日数が流れていきました。

すると、
「何時までも悠長に、世間の皆と同じような仕事をしている場合ではない。それ以上の意義(価値)があるから直ぐに修行せよ!」
と、強く迫られるような圧迫に、少々ノイローゼ気味になっていました。
私は訳の分からぬ「声」を聴くようになってから、半年くらい経ったある日、近所の方の紹介で「(宗)生長の家」を薦められて入信し、毎月開催されている「錬成会」で教えを迄うようになりました。
それが果たして「修行」なのかどうかは半信半疑だったのですが、教えの冒頭には「大調和の神示」があり、夢での調和と同じでしかも真に求めていた内容とほぼピッタリと一致したのです。
さらに、瞑想的な行事の一つで神想観をしている時や、聖経「甘露の法雨」を唱えている時には、頭が大変スッキリして軽くなったなどという不思議な体験もしたのです。
私は懐疑的に参加した錬成会で認識を一新して満足しながら帰路の途中で、
「夢の知らせで判断した、30才から人生の道が開けてくるというのは、この事だったのか」
と、閃いて心機一転し新たな心境へと変わり、それ以後は堂々巡りの様な嫌な感じはぷつりと消えたのです。

無念の思い、家運を立直して復興

私に与えられた使命(任務)を受ける
HP新作UP2001/11/16~更新2002/11/15~移転UP2005/3/31---2019/6/9ブログへ移転

上記のある夜の夢話しの続編になります。
それと言うのも私は29才の頃、ある夜の夢に老人が現れて「調和」という文字を見てから、強いインスピレーションを受けるようになり、
「今、心を大切にせよ!これからは危急の時である、時間はない!、未来に起るべく地球規模の危機を人々に知らせよ!、その時期に備えて多くの人々に心の準備をする様に呼び掛けよ!。そして皆でその時期を共に乗り越えるがよい!、その方法を自ら修行して見い出すんだ!」
「だから何時までも悠長に、世間の皆と同じ様な仕事をしている場合ではない!。それ以上の意義(価値)があるから直ぐに修行せよ!、これがお前に与えられた使命(任務)だ!、時はない!、今だ!、修行せよ!」
と、強く迫られるような感じに圧倒されました。
その後、前頁で紹介したように「錬成会」に参加して、新たな心境に変わってからはタイミングよく、夢に老人が現れて貴重なメッセージを受けつつも、父や兄にメッセージを話しても充分に理解してもらえずに、資金不足の上に体調は芳しくありませんでした。

それでも、J氏とK氏の関係者よりの悪巧みや嫌がらせなどを、前以て先祖からの知らせで上手く躱しつつ、肝心な脳波誘導器「やすらぎジェネレーター」を、改良する研究開発に必要な設備は全て揃えられず、導入しても低機能の上に低性能の計測器などでした。
ですから、自己流で能力開発を実践しつつ研究実験には夢や勘を頼りにして、根気よく月日を費やして努力した甲斐もあり、微力ですが曲がりなりにも辛うじて瞑想用の脳波誘導器の特許取得とニューモデルの開発を終えました。
その後にはさらに高性能な「やすらぎコイルJ型」器の試作完成に至りました。
その間に危機災難の軽減をするには瞑想のみでなく、さらに人々の心遣いから生き方や人生観を正しい方向へ導く様にもする必要があると、インスピレーションを受けまして精神世界や真理の探究も続けて、不馴れで苦手な分野でしたから下手ながら文章の作成をして、研究会の会報(霊脳通信など)や会誌で発表し紹介をしてきました。

遠松家の衰退を食い止め立て直せ

いつ頃であったかハッキリしませんが、1983年頃の夢であったと思います。
本家(結婚前に住んでいた家)の全景が、やや斜め上空から見えています。
しばらくすると風が出て来て、それは突然、台風のように強くなり家に吹き付けています。
すると雨戸があっという間に全部が外れて飛ばされ、中のガラス戸も同様に外れて飛ばされ、縁側が丸見えになってしまったのです。
風は一向に収まらず家の中に吹き込み、建具のふすまや障子なども次々と飛ばされるのです。
それでもなお風は吹き荒れて、屋根の瓦もめくれるようにして、次々と飛び散り殆ど無くなります。
壁という壁は抜け落ち、屋根を始め、天井とか床の板もめくれる様にしてどんどん飛ばされて、中に置いてあった家具なども、同様に飛ばされて無くなるという無残で恐ろしい光景でした。
そして、ついに家は柱とか梁、棟から下だけの骨組みだけとなってしまいました。それでもなお吹きさらしているのです。
この様に、両親と兄夫婦の家族が住んでいる家屋が、突然に哀れな骨組みだけになってしまうという、悪夢を数回も見たのです。
このことを後日になって母に話しましたら、母は、
「大本家の跡を継がれた四男は、お金の使いが荒くて数年前に破産し、家具や調度品などを処分して庭で何日も燃やされていて、家屋敷を他人に譲渡してアパートに住まわれているから、その事ではないか」
と、言われたことがあります。

その後、その屋敷の跡地には、三軒の住宅が建てられました。折しも祖父の弟に当たる方は、直ぐ近くで住んでいる所が狭いということで、丁度、大本家の跡地の道向い隣へ移転されて来られました。
ところが、その奥さんが亡くなられる前に話された内容によると、
「夜中に大本家の元屋敷の方向に大きな男の人が立って居て、こちらを見ている様で大変に恐ろしかった」
と、言われたそうです。
さらに一方では、その跡地に住まわれている、三軒の内のあるご主人は、時々訳もなく「誰かが窓を外しに来る」とか、「瓦をめくりに来る」と、叫んだり「家を壊される、誰か止めてくれ」と、わめき散らしていたとのことでした。
この様に先祖が苦労して築いてその霊が宿る、家屋敷を畳む(借金の担保に処分して他人に渡す)ということは、先祖にとっても遣る瀬無い気持ちであったろうと思われます。
ところが悪いことは度重なるもので、近市のアパートで暮らし始めた跡取り四男のご主人は3年も経たない内に、昭和56年10月のある日のこと郵便局から出て来た直後に何者かに襲われたのです。
蹴倒され頭を蹴られてもその日は意識があって、自分で警察へ届けると言われていたのですが、病院へ診察に行かれて帰ってから急に意識は不明となり、挙げ句の果てに一週間もしない内に亡くなられてしまったのです。
犯人は判りませんでした。何とも哀れで気の毒なことです。
私は、この様な詳細を聞くに至り、この一連の夢は、先祖の方々の遣る瀬無い無念の思いを伝えてきたものであろうと考えました。しかし、その考えは間違っていたようです。

遠松家の運命的な現実

その後、数年して私と兄は思うところがあり、それぞれに別々の霊感師を訪ねた訳ですが、驚いたことに各先生方は異口同音に、遠松家の衰退と滅亡に関する話をされたのです。
この儘では、5~6代もすると絶えるであろうとのことでした。
これらの話を聞いて、私は家が見る間に骨組みだけになっていく光景の夢を思い出して、恐ろしくなりました。
あの時の夢はきっと“遠松家の崩壊を意味していたんだ”と強く感じたのです。
そして、先祖より依頼された一連の任務は、私財を投げて世の中へ貢献することで、遠松家の家運を立て直し衰退を食い止め、復興することにあるのではないかと確信したのです。
しかし、私財を投げて貢献する事に父や兄には充分に理解してもらえずに、最低限でも必要な資金に比べて僅かしか援助されませんでしたから、資金不足の心的な負担と細々遅々とした日々の経過に何時迄に成し遂げるかと言う時期・期限に心の焦りもありました。
それでも、生活を切り詰めても到底に無理があり仕方なく、先祖より夢で依頼された計画は縮小して最低限の活動に留めて、次期なる任務は不可能と先祖も納得されて辞退を受け入れられて、凍結してもらい遂行できませんでした。

こうして私の本当の使命(任務)は開始された

老人からのインスピレーションにより、「その時期に備えて多くの人々に心の準備をする様に呼び掛けよ。その方法を自ら修行して見い出すんだ。」とのメッセージの意味をよく思案して自ら解釈する事にしました。
「やすらぎコイルJ型」器の開発が終わり発表する頃には、この研究と開発は私の本当の任務への試練であり、力量を試されているに過ぎないと感じる様になりました。
それで、会誌などでやすらぎコイルの開発は「使命の自覚」で私の修行と、使命遂行の副産物に相当すると遠回しに紹介しているのです。
そして研究会を閉会後に、会報(霊脳通信など)や会誌で発表し紹介をしてきた事柄の、生き方や人生観を正しい方向へ導く指針となる内容を、パソコン通信では不可能でしたが、インターネットとホームページの普及に伴って、新たな機器の研究や開発は資金不足で到底に無理がありましたが、これだけは出来るだろうと思う様になりました。

そして研究会の閉ざされた会員制から解放されたより多くの人々に、会報や会誌で紹介した人間性の向上の重要な生き方や人生観を正しい方向へ導く、指針となるメッセージを伝える啓蒙の活動が出来る様にと、微力で精一杯ですが先ずはホームページを開設した訳です。
私が、1981年より今まで行なって来ました、脳波誘導器の研究や開発と特許の登録、そして発表と研究会の開催と能力開発や開運指導や会報や会誌の発行とか、及びその後のホームページとブログの開設に於けるアドバイスなどにより、どのくらい遠松家の衰退を食い止めることが出来たかは判りません。
それでも、先祖の方々の願いを少しでも汲み取って達成に向けて実践し、無念の思いを少しでも晴らすことが出来たのではないかと思います。
先祖が私たち子孫に願い託したことを行なうということは、先祖に満足や安心を与える訳ですから、これにより本当の意味に於いて、微力ながら先祖の供養が出来たと考えられるのです。