最後の審判を生き抜く人生の指針と心得 五次元世界へ誘う目的意識

最後の審判を遣り過す魂の道案内と人生の目的と意味と意義

働けど働けど尚我が暮らし楽にならざり収奪の債務奴隷で疲弊

10月04日、高市早苗氏が自民党の新総裁に選ばれた時に、「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」という、発言に皆さんはどう思われましたか。
同党議員に対し「全員に馬車馬のように働いてもらう。私自身もワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる」という発言も、同様に国民に向けて労働意欲を駆り立てる意図がある様です。
これに対して過労死した遺族から懸念の声が上がっています。

これは2015年に安倍首相の1億総活躍社会の言葉にも相通ずるでしょう。
それは、アベノミクスの経済成長を優先する政策の筈でした。
世界に比べて働き過ぎると言われる日本人!それでも未だ足らないのでしょうか。
全国民を燃え尽き症候群にして短命に終わらせれば年金支給も不要となり、老後の医療費や介護費も抑えられると短絡的に目論んだのでしょうか。
しかしその後、1億総活躍社会の政策はコロナ禍のパンデミックにより頓挫しました。

ここで、明治時代の歌人石川啄木の有名な短歌「働けど、働けど、猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る」の、有名な一節を思い出しました。
どんなに一生懸命働いても生活が楽にならないという、理想と現実のギャップに苦しむ庶民のやるせない気持ちを表して、労働者の苦悩を感動的に歌っています。
今から100年以上も前に詠まれたこの歌は、当時の人々が直面していた生活の厳しさを端的に表現しています。

これは、現代にも通じて労働者の多くは非正規雇用の増加で低賃金なのに、大企業は災害などの復旧に必要と余剰金を国内総計で数百兆円も内部保留している有様で、搾取・収奪により大衆の生活は依然として厳しいものがあり、今もこの短歌に共感している大衆が多い様です。
社会は世知辛く生き馬の目を抜く様な生き様で、大衆は駒の様に扱われ隷属の労役で酷使され心身共に疲労困憊して、抑圧と収奪され長い間も生活の質が向上する事なく引き戻されているのが現状です。

狭い日本、皆がそんなに急いで活躍し何処へ進んで行くのでしょうか。
かつて元航空幕僚長田母神俊雄氏は「女性が働けば家庭教育が困難になり公教育に頼る、そうなれば子供たちの洗脳教育がやり易い」とTwitterで発言していました。
女性の社会進出は家庭の崩壊に繋がりかねなく、程々にする必要がある様です。

伝統的な家族概念が破壊された今、人々は安らぎの場を失って心身共に疲弊して行きました。
家庭教育ほど小さい子供の人格形成に寄与する教育はないと言われます。
家庭は社会の縮図と言われる様に、最小単位である家庭が崩壊されると、当然に社会も崩壊へ向かうのは道理なのです。

働き方改革の現実と理想の狭間で企業側の経営者と労働者は、働き易い職場として様々な取り組みとサポートを始めていますが、思った程に成果は上がっていないでしょう。
過労死等防止対策推進法ができてから10年以上が経ちましたが、中小企業ではサポートや体制もお粗末で労働環境や待遇が、改善したとは言えないのが現状です。
現在の労働時間の上限規制は過労死の認定ラインであることも踏まえ、過労死防止を後退させる恐れがある労働時間規制の緩和を進めることについて、過労死した遺族として強く懸念を抱き反対しています。

馬車馬のように働いてという言葉は貪欲な財界からの要請であると思われます。
仕事は能率や効率を良くして持続する必要があるのに、無理な勤務体制で残業や休日返上など時間外労働により、心身共に疲弊して精神疾患うつ病などや過労死やミスや事故の問題もあり疲れ果てては、創意と工夫の意欲も湧かずこれでは逆効果でしょう。
トラブルやミスをする人が続発するような職場は要注意です。
企業は「事業」を持続させて発展し向上させるには、社員教育を行い人材は人財であり真理に基づいた「人間の道」というものを大切にし、徹底して説いて実行して行かなければならないのです。

家庭・家族より会社(事業)・職場の方が大切なんだと、暇な時間も仕事のことや同僚との付き合いや趣味のことを考えていますが、仕事一途で成功して達成感や満足感や生き甲斐を得られたとしても、定年を迎えれば退職したり企業の倒産だってあります。
それにより、居場所は無くなり家族疎外で家庭が崩壊すれば、心にポッカリと穴が空いた様になり、落ち着ける安住の住処が得られず本当の安心や幸福にはなれません。

会社などへ永続性のない忠誠心から幸福や豊かさを求めて内助の功とも言われる妻とか、子供が犠牲になって病気になったり心を失ったり、愛想を尽かして家を出て行ったりすれば定年後は孤独で空虚な生活へと陥ったりして、自らを見失い急に認知症になったりするのです。
持続可能な経済成長と繁栄には人々の生活を優先して労働環境や家庭を守り、安心出来る社会と安全第一と労働時間と健康の管理と平和が必要で、仕事と家庭を両立させて将来に夢も希望も抱ける世の中にあってこそ、人生の計画が持てることでしょう。

少子化と高齢者の社会が到来する事を受けて、外国人労働力や留学生や実習生の受け入れとか、移民政策の取り上げなども相次ぎ移民の国に変わって行き、日本民族から外国出身者に置換られつつあります。
これなどは、財界・業界・実業家として経済発展と虚構な拡大路線を継承する、企業側の利己的な競争と利益追求と市場制覇を望む過度の欲望であり、貧富の格差と歪みや病める社会へ向かいました。

一方、増収増益を重ねて規模拡大を続けていた、順風満帆の企業が突然倒産するケースさえあります。
人手不足による機会損失や昨今の物価高など、事業環境の悪化が要因となっているケースが多いものです。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった建設業者が倒産したのは、年売上高の3倍近くの未成工事を有していたという事例があります。
人手不足が騒がれる建設業界において施工能力を維持するのは容易ではなく、受注はあるが建材費の高騰で売り上げは立たないとか、工事はするが十分な人手が確保出来なく完成しないという状況に、追い込まれていく場合があるのです。

事業の拡大後に倒産した失敗は、「売り上げ」の追求に目が眩み、キャッシュフローを軽んじた結果でした。
成り上がり者と言われて戦略的に成長過程の経営者は、「企業の成長=売上の拡大」という安易な考えに目を奪われることがあります。
利益を生まない拡大、キャッシュを創出しない成長は経営を狂わせるのです。

この様に霊的に未熟で頭脳的な経営学に基づく杜撰な経営者は、ある日に寝耳に水の如く突然に会社が行き詰まり倒産するものです。
これは自らの精神を向上させることなく、事業拡大・市場制覇・金品・地位・名声などを追い求める者は、虚構な影を追うて走る者であり、永遠に得る事は不可能だからです。
この世である現象界は心の影であり、自らの人格や品性を高めないで物質的な何かを求めて利己的に掴んだと思っても、必要な徳が積んでなかったり体験学習が不足していると、水の泡の如くに消失するでしょう。

かつてネガティブな者たちは陰謀により、上昇志向を抱かせて皆さんに成功とかステータス・シンボルを持つことが、豊かで幸せや生き甲斐の価値だと巧妙に洗脳して、虚栄心を煽り他者と競争させて贅沢と浪費を続けさせる様に、マスコミを通して大衆操作を行いました。
ネガティブな者による利益追求に明け暮れた、邪悪で意図された欠乏な文明・世界は自然の法則に適合・調和せずに、やがて自滅崩壊の道へ進むことは避けられなく終焉を迎えるでしょう。

快適で物質的な生活に溺れて依存・執着している者、貪欲な者、傲慢な者、心の弱き者、利己的な者、ネガティブ思考の者、建設的な思念と言動力なき者は、人の本質である霊的な存在に気付き目覚めるまで、他者に支配され利用された哀れな人生の侭で、終わって行くのかも知れません。
虚構な金融と経済の社会では債務奴隷システムにより、国内で147万人もいると言われる多重債務者もこの類なのかも知れません。

闇・魔手の者が先入観の勘違いと誤解から、「光は東方から」との伝説と日本人の「優秀さ」に気付いて、「日本人(大和・ヤムート)の目覚め」を恐れて、社会に恐怖と混乱と欠乏の陰謀を計画したのです。
日本政府へは、恫喝と圧力とエージェントを差し向けて従わせ、ミスリードの逆噴射とも言える政策を長年に渡り執って来たことから、金融・経済は「失われた30年」となり今も継続中で、取り返しのつかない状態に陥り社会環境は閉塞感を生み、経済格差や将来の見通しが立て辛く欠乏と不安から大衆の未来は望めなくなりました。

かつて、植草一秀教授が国益毀損の愚劣な経済政策の問題点を指摘し批判と糾弾して、国益主体を考えた経済健全化への道筋を説きました。
ところが、ユダヤ資本からの恫喝と圧力に屈した政権は、売国構造改革の政権にとって目障りで実現を阻む邪魔な存在として、愛国姿勢を持つ経済学者や識者連中を陥穽にはめて、無理やり彼らの表現を封じようと動きました。

この間に外国(ユダヤ)資本が日本の優良資産を破格の安値で大量に取得できたことです。
派遣社員に代表される様に雇用システムも崩壊されて、貧富の格差が広がって社会・経済の歪み・衰退は増して混迷し、若者の夢まで無くして自暴自棄に陥る人も居たりして事件を起こしたりしました。
それで、若者の悲劇が多発して人権も踏み躙られて、最悪の状況に陥り経済は撃沈した状況を呈して尚も長らく継続しています。

しかし、精神時代の社会に入り世の中は激動して、物質的な富が幸福だというのは過去のものになっています。
意識を高尚にして真に人格・品性を高めて徳を積まないと、金品や出世等の事象に執着して激動する社会や流動する資産等に心を奪われ、自らを見失い内在する能力も眠らせ大切なチャンスを逃します。

未だ一定の霊・魂的レベルに達していない人々は、古い地球の領域で魂の学習と修行を続けて、心構え・意識と言動を通して霊的にある一定のレベルに、達し得る様に努力をすることになります。

人々は様々な災禍に直面して、これまで競争社会にあって市場制覇とか金儲け一辺倒の利己主義的な価値観では進めなくなり、生き抜く事すら無理が生じて来て思い知らされ、人生観・価値観を根底から変えざるを得ない状況に余儀無くされて行きます。
そして、本当に大切なものは何かとか助け合いや補い合いの利他思想に気付き、人間性の向上を果たして行かざるを得ないでしょう。